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大阪地方裁判所 昭和60年(ワ)800号 判決

原告

日下栄

日下千幸

右両名訴訟代理人弁護士

喜治榮一郎

被告

医療法人奉仕会

右代表者理事

谷内清

被告

宮本博介

大西敏雄

右三名訴訟代理人弁護士

米田泰邦

主文

一  原告らの被告らに対する各請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自、原告日下栄に対し、金一四八七万円、同日下千幸に対し、金一四三七万円及び右各金員に対する昭和六〇年二月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(当事者)

原告日下栄(以下「原告栄」という。)及び同日下千幸(以下「原告千幸」という。)(以下原告栄・同千幸両名を指すときは「原告ら」という。)は、訴外亡日下英紀(以下「英紀」という。)の両親である。

被告医療法人奉仕会(以下「被告病院」という。)は、肩書地において谷内小児病院の名で小児科の病院を経営する医療法人であり、被告宮本博介(以下「被告宮本」という。)は近畿大学付属病院に勤務しながら臨時に被告病院との契約に基づき同病院で診療行為を行う医師であり、被告大西敏雄(以下「被告大西」という。)(以下被告病院・被告宮本・同大西の三名をいうときは「被告ら」という。)は、同病院に常時勤務して同病院で診療行為を行う医師である。

2(本件事故の発生)

(一)  英紀は、昭和五八年五月二九日生まれの男子であるが、昭和五九年三月二二日午後五時三〇分ころ、当時感冒気味であったため、原告栄がかかりつけの訴外宮下医院(大阪市此花区梅香三―二二―一所在、以下「宮下医院」という。)へ連れて行き、訴外医師宮下保男(以下「宮下」という。)の診療を受けさせたところ、宮下から「喘息性気管支炎」との診断を受け、喘鳴と呼吸困難がみられたため、同医師より吸入処置と投薬を受けたのち、被告病院での受診を勧められた。

そこで、原告栄は、一旦自宅に戻り、原告千幸と相談のうえ、大事をとって被告病院で受診することにして、同日午後九時ころ、英紀を被告病院に連れて行った。途中、車内において、英紀は熟睡していた。

(二)  被告病院において、英紀は、当直医であった被告宮本の診察を受けたが、同医師は、簡単に英紀の咽喉部を一瞥しただけで、喘息の疑いがあるのでと称し、被告病院への入院を勧めた。

原告らとしては、英紀の容態が入院を要するほど重大なものとは思えず、また、同医師も重病というほどのものでない旨説明するので、英紀を自宅へ連れ帰ることを希望したが、同医師から、明朝精密検査を行い、いつでも帰宅できるように「観察入院」とするとの強い要請があったため、やむなくこれに応じることとし、英紀は、二人部屋の病室に入院し、看護婦により投薬・点滴等の処置を受けた。

(三)  同月二三日午前七時ころ、当直を終える前に被告宮本が英紀を診察したところ、英紀は昨夜とは一変して呼吸困難な状態を示していたので、被告宮本は、同日午前七時一五分ころ、英紀を酸素テント内に搬入し、その後、血液検査のための採血を行った。右時点における被告宮本の所見は、症状からみて喘息ではなく、細気管支炎の疑いありとのことであった。

(四)  同日午前一〇時ころから、被告宮本に代わり、被告大西が英紀の治療を担当することになったが、その時点の同医師の所見は、肺炎の疑いありとのことであり、英紀は、この時既に酸素欠乏のため、チアノーゼ状態を示していた。

同日午前一一時すぎ、レントゲン撮影のため、英紀は酸素テントを出たが、英紀は既に顔面蒼白で、口唇のチアノーゼが強度にみられた。そして、同日午後〇時には、個室に移され、心電図モニターをつけた。

(五)  同日午後三時すぎには、英紀は意識不明の状態に陥るとともに、心臓が停止し、被告病院の院長から「気の毒なことをした。」旨の発言がなされた。

(六)  同日午後四時ころになって、原告らは、被告大西より、訴外市立桃山病院(以下「桃山病院」という。)への転院を勧められ、同日午後五時ころ、桃山病院に到着し、治療が行われたが、その実質は蘇生行為であって、英紀は同日午後七時四五分、同病院で死亡するに至った。

同病院の所見では、肝臓が異常に肥大し、胃からの出血がみられ、死因は、肺炎による敗血症のための心不全であるとのことであった。

3(被告らの責任)

(一)  (債務不履行責任)

原告らと被告病院は、前記のとおり、昭和五九年三月二二日、英紀の前記病気について、診療当時の医療水準に適合した診療を行うことを目的とした診療契約を締結し、被告宮本及び同大西又は被告病院の院長は、いずれも被告病院の履行補助者であるところ、被告病院は、右契約に基づき、英紀の病状に適した治療行為をなすべき債務を負っているにもかかわらず、後記のとおりの過失により、右債務の本旨に従った履行をなさなかったため、同人を死亡させるに至らしめたものであるから、民法四一五条による債務不履行の責任を負うべきである。

(二)  (不法行為責任)

被告宮本及び同大西、又は被告病院の院長は、後記のとおり、英紀に対する治療につき、重大な過失があり、そのために同人を死亡させるに至らしめたものであるから、右被告宮本及び同大西は民法七〇九条に基づく不法行為責任を負うべきである。

被告病院は、被告宮本及び同大西、又は右院長の使用者であるから、民法七一五条に基づく不法行為責任を負うべきである。

(三)  (被告宮本及び同大西、又は右院長の過失等)

(1) (初診時の容態についての誤診)

被告病院の初診時において、宮下の被告病院への紹介状には「呼吸困難著明」とあり、かつ、被告病院への転院入院を顧慮して紹介している事実から、被告宮本としては、右初診時において、既に重症と判断して、早急に酸素テント内に収容する等の処置をとるべきであったにもかかわらず、単に「喘息の疑いあり」と軽診し、「観察入院」との扱いで検査を翌朝に延引し、酸欠状態について何らの確認もせず、通常の二人部屋に入院させるなど、重症者に対する処置を採らなかった。

(2) (病名の確定に関する処置の不相当)

英紀の病名については、「肺炎」は、発熱がなく、かつ胸部X線上に著しい変化が認められないのであるから、これを否定するのが当然であり、また、喘息と細気管支炎については、その鑑別は困難であるが、診療録によれば、英紀は過去にアトピー性皮膚炎と思われる病状を呈しており、喘鳴を繰り返していたこと、また、喘息患者が家族歴にあること、さらに、細気管支炎には強力な治療法が存在せず、気管支喘息は短期間で改善し得ることからすれば、まず「気管支喘息」との診断をなし、これに対する強力かつ適正な治療を施すべきであったにもかかわらず、被告宮本・同大西は、病名不明のまま、早期に病名確定のためのレントゲン撮影等をすることもなく、漫然と手探り状態で治療を続けたものである。

(3) (薬物投与の不相当)

昭和五九年三月二三日午前一〇時五分の英紀の動脈血ガス所見ではPHは7.164と著しく低下しており、右数値は英紀に重篤な換気不全が存在し、直ちに強力かつ適正な治療を開始しなければ死に至る危険性を明白に示すものである。

したがって、被告大西としては、直ちに右適切な治療を開始し、適切な呼吸管理によって動脈血ガスの改善を図ることに務め、ネオフィリンが効果が不十分なのだから、さらにステロイド等の使用を試みるとともに、かかるPHの低下時においては、気管支拡張剤の有効性が低下することは医学上の常識であるから、まず、メイロン等の使用によって気管支拡張剤への反応性の回復に務めるべきである。そして、英紀のように喘息性の強い患者の場合には、メイロンを当初から且つ増量のうえ投薬を試み、その後も患者の症状の変化並びに動脈血ガス所見の変化を確かめつつ投与すべきであるところ、被告大西はかかる配慮をまったくせず、動脈血ガスの再検さえ行っていない。

(4) (酸素テントへの搬入と時期等について)

被告宮本が、英紀を酸素テントに搬入させたのは、昭和五九年三月二三日午前七時一五分ころであるが、午前一〇時五分の動脈血ガスでPHが7.164だったことから考えて、そのころの英紀の症状は、既に危篤状態にあったものであり、右酸素テントへの搬入は、遅きに失したというべきである。

仮に、右酸素テントへの搬入が遅きに失しなかったとしても、右搬入後も、英紀の口唇色不良・呼吸困難の状態は少しも改善されていないのであるから、被告宮本及び同大西は原因解明のための検査・改善処置を迅速に行うべきであったにもかかわらず、右処置をまったく行っていない。

また、PHの数値が7.164であったから、右被告らは、その時点で直ちに人工呼吸装置を準備し、遅くとも一時間後くらいには動脈血ガスを再検査し、なお改善がみられなければ人工呼吸を開始すべきであった。

(5) (転院措置の遅れ)

被告大西は、二三日午後四時ころになって、被告病院での治療を断念し、桃山病院への転院を決定して、英紀は同日午後五時ころ桃山病院に到着したものであるが、右時点においては、既に英紀は瀕死の状況にあったもので、転院は遅きに失したというべきである。

(6) (治療の空白)

英紀の入院直後の昭和五九年三月二二日午後一〇時ころから翌二三日午前七時ころまでの診療記録は全く空白であり、これは、この間、英紀に対する適切な症状観察・治療行為がなされなかったことを示すものであり、この間の処置の欠如が英紀の死を招来したものである。

さらに、二三日午前七時ころ、被告宮本は、英紀の治療の引継ぎを被告病院の院長に要請して宿直を解除されているが、院長は右要請に応じず、同日午前一〇時ころ、被告大西に引き継がれるまでの間、英紀に対する治療は全くなされておらず、この治療の空白が、英紀の死を早めたものである。

4(損害) 合計金二九二四万円

(一)  逸失利益 金一六三四万円

英紀は、昭和五八年五月二九日生まれの健康な男児であったが、昭和五七年簡易生命表によれば満九カ月の男児の平均余命は74.22年であり、かつ前記医療事故がなければ、一八才から六七才まで就労して収入をあげ得ることができたものである。そしてその収入は、産業計・企業規模計・男子労働者一八才の平均収入(昭和五七年賃金センサス)を下回ることはない。なお、生活費は、その収入の四〇パーセントをもって相当とする。

そこで、逸失利益を新ホフマン方式により価額に換算すると、次のとおり、少なくとも金一六三四万円となり、原告らは、これを二分の一ずつ相続しているものである。

1,658,700×0.6×16.419=16,340,517円

(二)  慰謝料 金一〇〇〇万円

英紀は、原告らの唯一人の愛児であり、僅か一両日でこの尊い生命を奪われた原告らの精神的苦痛は、金銭によって慰謝し得るものではないが、あえて金銭に換算すれば、原告らにおいて、各金五〇〇万円を以てしても少なきに失するものである。

(三)  葬儀費用 金五〇万円

英紀の葬儀費用は、金五〇万円を下らず、これを原告栄が負担しているものである。

(四)  弁護士費用 金二四〇万円

本訴を提起・遂行するためには、弁護士に委任する必要があり、その弁護士費用としては、請求金額の一割を以て、本件債務不履行ないし不法行為と相当因果関係のあるものとすべきである。

5 よって、原告らは、被告に対し、前記債務不履行あるいは不法行為による損害賠償請求権に基づき、各自、原告栄については金一四八七万円、同千幸については金一四三七万円の各支払いと、右各金員に対する本訴状送達日の翌日の昭和六〇年二月二一日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うことを求める。

二  請求原因に対する認否及び被告らの主張

1  請求原因1の事実中、原告ら主張の日時ころ、英紀が被告病院で受診したこと、被告宮本・同大西が、当時それぞれ被告病院の非常勤・常勤の勤務医であったこと、被告宮本の本務が近畿大学付属病院であることは認める。

2  同2の(一)の事実中、英紀が宮下医院で受診し、喘鳴と呼吸困難があり、宮下の紹介で被告病院で受診したこと、被告病院受診時までは、咳もなく熟睡できる状態であったことは認めるが、その余は不知。

3  同2の(二)の事実中、当直の被告宮本が英紀を診察し、喘息の疑いを指摘して入院を勧めたこと、その際、原告栄が入院を渋ったが、翌日検査をすることとし、「観察入院」させたこと、入院したのが二人部屋であったことは認める。

4  同2の(三)の事実中、翌朝の午前七時ころ、被告宮本の診察で呼吸困難な状態を示す所見があり、酸素テントを使用したこと、細気管支炎も疑って、その旨指摘したこと、その後採血したことは認める。採血は午前一〇時過ぎである。

5  同2の(四)の事実は認める。

6  同2の(五)の事実中、午後三時過ぎに英紀が意識不明状態に陥り、心停止状態となったことは認める。このころ、英紀の症状が急変したのである。院長の発言は「お気の毒ですが重症です。生命の危険もあります。」との趣旨であった。

7  同2の(六)の事実中、桃山病院に転院したこと、同病院における診断死因病名が肺炎による敗血症のための心不全であったことは認めるが、治療内容が単なる蘇生行為であったことは否認する。

8(一)  同3のうち、被告病院と原告らの間に診療契約が締結されたこと、被告宮本・同大西が履行補助者にあたること、被告病院が被告宮本・同大西の使用者であることは認めるが、被告らに同3の(三)(1)ないし(6)の過失があることは否認し、被告らが債務不履行責任及び不法行為責任を負うとの点は争う。以下に述べるとおり、被告らに過失はない。

(1) (初診時の容態について)

英紀が被告病院へ入院した時点においては呼吸困難も治っていて、原告ら自身入院の必要性を疑い、当直医であった被告宮本も「観察入院」とする程度の症状でしかなかった。したがって、原告らの主張するような重症者に対する処置をする必要はない。

(2) (病名確定に関する処置について)

英紀に対する入院後の各処置は、同人の病名を確定するために、その反応をみながらなされたものであり、また、右各処置には十分に根拠がある。

レントゲン撮影についても、前記のとおり、初診時においては英紀は安定した状態にあったのであり、その時点でレントゲン被曝をもたらす撮影をするのは過剰であるし、また、見るべき所見が得られたはずもない。入院の翌日の胸部レントゲンでは軽い異常所見が見られたが、それは症状が悪化してから後のものである。

(3) (薬物投与の相当性について)

被告大西は、ネオフィリンが奏功しなかったので、さらに進んだ治療としてネオフィリンに加えてソルコーテフを投与しており、右は妥当な処置である。また、ネオフィリンが奏功しなかったという事実から、むしろ本件は細気管支炎等の喘息以外の疾患であったと考えるべきである。

また、被告大西は、午前一〇時五分の動脈血ガス所見に応じて午前一〇時四〇分にメイロンを使用し、さらに午後一二時三五分採血の動脈血ガス所見を踏まえて午後二時にもメイロンを加えているなど、常識的なメイロンの使用方法を採っているのであって、もっとメイロンを使用すべきであったという原告らの主張は結果論である。

(4) (酸素テントへの搬入と時期について)

二三日午前七時までは、原告千幸だけでなく看護婦が何度も訪室して英紀を観察していたが異常は認められず、午前七時に呼吸困難に気づいて同七時一五分に酸素テントに収容したもので、右は迅速な処置である。原告らの主張する血液ガスの測定は午前一〇時五分のものであり、他に酸素テントの使用が遅すぎたという根拠はない。

人工呼吸の開始時期については、被告病院では、二三日午前一〇時四〇分に投与したメイロンによる呼吸状態の改善に期待し、さらに呼吸性アシドーシス、特にPCO2が悪化するなら人工呼吸を予定していたもので、右は妥当な対応である。すなわち、人工呼吸も細気管支炎や喘息による気管支の攣縮が解消されなければ無意味であり、そのためには気管支拡張剤を投与したり、これが効くようにPHを補正したりすることが必要なのである。

人工呼吸の機械的開始基準については、PCO2が七〇ミリかそれ以上、PO2が五〇ミリかそれ以下、あるいはPCO2が六〇〜七〇を超えること、PO2は六〇〜四〇を下回ることを基準とするものがあるが、本件では、午前一〇時五分と午後一二時三五分の血液ガス所見を比較すると、PH7.164が7.168に、PO2は57.5が58.4に、PCO2が58.3が59.1になっており、PCO2は少し悪化しているものの右人工呼吸の開始基準に達していないし、他は僅かではあるが改善している。午後二時四三分の動脈血ガス所見ではPH7.102、PO244.2、PCO2六二と急激に悪化し、それに対応した処置を講ずる間もないまま、午後三時に英紀の容体が急変したものであるが、右急変は、それ以前には予測できなかったものである。

(5) (転院措置の遅れについて)

英紀の症状は、前記のとおり午後三時ころから急激に悪化したもので、被告病院の精力的な治療により緊急事態を切り抜けた時点で速やかに転院措置を行ったものである。

(6) (治療の空白について)

本件では、原告千幸が入院時より英紀に付き添い、看護婦も何度も見回っており、これらの者が直前まで英紀に異常を認めていなかったのである。医師の記録がないのは、記載すべき変化がなかったからであるが、その間も医師の指示により看護婦による処置も行われており、記録にないからといって、診療の空白があったとはいえない。

また、医師による直接の観察や処置がなされていたとしても、それによって結果に変化があったとは考えられない。

(二)  原告らの主張は、英紀の死因が喘息であったことを前提とするものであると思われるが、初回の喘息発作が重篤であった場合、喘息と細気管支炎との鑑別は極めて困難であり、また、細気管支炎であれば、気管支拡張剤も無意味であるところ、被告病院においても気管支拡張剤を常識的な使用方法で使用しているにもかかわらず、劇的に奏功しなかったという事実からはむしろ、細気管支炎が疑われるのである。喘息では家族歴が重視され、英紀には従兄弟に喘息患者がいるけれども、四親等程度まで広がるとあまり重視することはできない。

さらに、桃山病院において敗血症と診断されたように、敗血症等の感染症では本件のように急激な致死的経過を辿る症例が多く、本件でも抗生物質を使用していたため実際に細菌は検出されなかったが、そのような場合のあることは常識であって、そのことゆえに感染症を否定することもできないし、被告病院では四〇度近い高熱があり、桃山病院では腹部膨満が急速に進行し、肝臓の異常な腫大、多量の下血等が見られ、その後の肝機能検査結果によれば、GOT、GPT、LDHの異常な上昇があったという事実からすれば、ライ症候群等の急性脳症あるいはその合併症であった可能性も十分考えられるところ、本件では、原告らが解剖を拒否したこともあって、そのいずれであったか断定することはできないものといわねばならない。

そして、細気管支炎であれば強力な治療法はなく、全身感染症あるいは急性脳症であればなおさらで、原告らの主張するような治療法で救命できたとは到底言えない。

また、仮に喘息であったとしても、本件は急激に症状が悪化した喘息としては極めて稀な症例であり、適切な治療をしても救命し得なかったものである。

9  同4の事実は否認する。

10  同5は争う。

第三  証拠〈略〉

理由

一請求原因事実中、被告宮本・同大西がそれぞれ被告病院の非常勤・常勤の医師であること、英紀が宮下医院で受診し、その時喘鳴と呼吸困難があって、宮下の紹介で、昭和五九年三月二二日午後九時ころ、被告病院で受診したこと、被告病院受診時までには、咳もなく熟睡できる状態であったこと、被告病院では当直の被告宮本が診察し、喘息の疑いを指摘して入院を勧め、二人部屋に観察入院させたこと、その際、原告栄が入院を渋ったこと、翌二三日午前七時ころの被告宮本の診察で、英紀に呼吸困難な状態を示す所見があり、酸素テントを使用し、その後採血し、被告宮本は細気管支炎の疑いを指摘したこと、その後請求原因2の(四)の事実があること、午後三時すぎになって英紀の症状が急変して意識不明状態となり、心停止状態も発現したこと、その後桃山病院に転院し、同病院において、死因は肺炎による敗血症のための心不全と診断されたこと、以上の各事実はいずれも当事者間に争いがない。

二前記一の争いのない事実に、〈証拠略〉を総合すると、英紀の死亡に至る経過につき以下の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  英紀は、原告栄・同千幸の間に昭和五八年五月二九日出生した男子である。

2  原告栄は、数日来、英紀が風邪気味で、喘鳴を繰り返していたため、昭和五九年三月二二日午後五時三〇分ころ、かかりつけの宮下医院に英紀を連れて行った。

同医院において、宮下が英紀を診察したところ、喘鳴が強く、呼吸困難も見られる状態で、英紀は、右に先立つ同年二月六日にも、喘鳴があって、同院において診察を受け、「喘息性気管支炎」との診断を受けていたが、今回は、単なる気管支喘息あるいは喘息性気管支炎にしては症状が強かったため、宮下は肺炎を疑い、レントゲン撮影をするも、肺炎と思われる所見は見られなかった。

しかし、宮下は、翌朝までに状態が悪くなる可能性を懸念して、原告栄に被告病院で受診することを勧め、「一昨日末より喘鳴あり、本早朝より呼吸困難著明です。」との同病院への紹介状を書いた。

宮下によって、投薬・吸入等の処置を受けて、英紀の喘鳴は収まった。その後英紀の症状は落ち着いていたが、原告らは、紹介を受けたことでもあるから被告病院で受診することに決め、同日午後九時ころ、英紀を連れて被告病院で受診した。途中の車内では、英紀は熟睡していた。

3  被告病院では、当直医であった被告宮本が英紀の診察にあたったが、その時の英紀の状態は、少し喘鳴があり、咳が伴っていたほかは発熱もなく、それほど心配な状況ではなかった。

ただ、それでも幼少児の場合には、夜中に容態が急変することがあり得ることを懸念して、被告宮本は、原告らに英紀を入院させるように勧め、連れて帰るという原告らを説得して、「観察入院」として入院させることとし、英紀は二人部屋に入院した。

右時点において、被告宮本は、英紀の病名について、その症状及び問診の結果、英紀の親戚に喘息の患者がおり、また、過去に何回か喘鳴があったことが判明したことから、喘息さらには英紀の年齢を考えると細気管支炎のいずれかではないかと考え、気管支拡張剤であるネオフィリン、イノリン、そして小児喘息は感染症が引き金になることが多い事を考慮して、抗生物質であるアンピシリン等の投与を看護婦に指示し、右投与がなされた。

4  翌日の午前六時二〇分ころ、被告宮本が当直を終えて帰る前に、英紀の様子を見に行ったところ、英紀は、口唇に軽いチアノーゼがあり、陥凹呼吸が見られ、喘鳴も強度に聞かれ、乾性ら音が強くなってきている状態であった。

英紀には、入院時からずっと、原告千幸が付き添っていたが、同人の被告宮本に対する話しでは、それまでは英紀の様子は落ち着いていたとのことであり、また、看護婦からもそれまで何ら異常があるとの報告はなかった。

そこで、被告宮本が指示して、同日午前七時一五分ころ、英紀を酸素テント内に搬入し、さらに、胸部レントゲンを至急撮影するよう指示して、間もなく、登院してきた被告病院の院長に英紀を診察してくれるよう口頭で依頼し、その際、細気管支炎かもしれないので気管支拡張剤であるネオフィリンの投薬を続行するか否か検討してくれるよう伝え、その後の治療を院長に引き継いだ。ネオフィリンの投薬についてはカルテにも記載した。

5  その後、午前一〇時前ころになって、登院してきた被告大西が英紀を診察したところ、英紀は、口唇に軽度のチアノーゼが認められ、かなりの呼吸困難(陥没呼吸)があって、胸部の聴診所見では、乾性ら音、湿性ら音等色々な音が集約された形で聞かれた。

被告大西は、右所見とカルテに記載された被告宮本の診断をも考慮して、喘息・細気管支炎、さらには肺炎を念頭において治療にあたることとした。

6  そして、午前一〇時五分、動脈血ガスを検査したところ、結果はPH7.164、PO257.5、PCO258.3、HCO320.9と呼吸性酸血症の症状を呈していた。そこで、被告大西は右酸血症を改善するため、午前一〇時四〇分、メイロン一〇ccを静注した。

また、午前一一時五分には、レントゲン撮影をしたが、その後に出た結果によると、肺に空気が多く入った肺気腫という状態にあり、肺の像としては「淡い肺炎」の陰影が軽度に認められた。

7  被告大西は、英紀の病気が肺炎・細気管支炎・喘息のいずれであるのか判断をつけかねたので、訴外医師小野厚(以下「小野」という。)に、英紀を診察してもらうことにし、午前一一時四〇分、小野が英紀を診察した。小野の診断では、英紀にとって初めての重度喘息発作ではないか、とのことであり、小野の助言により、午前一一時五五分、ネオフィリンに加え、気管支拡張剤であるソルコーテフ一〇〇ミリグラムを静注した。

8  午後〇時一〇分には、英紀は個室に移され心電図モニターをつけ、さらに、午後〇時三五分には動脈血ガスを再検したが、右時点における結果は、PH7.168、PO258.4、PCO259.1、HCO321.4とほぼ横這いの状態であった。

このため、午後一時にネオフィリンを4.5と増量投与し、これに加えてさらにソルコーテフ一〇〇ミリグラムを午後一時二五分静注し、さらに午後二時にはメイロン(二〇cc)を静注した。

9  しかし、それにもかかわらず午後二時四三分採血の動脈血ガス所見によれば、PH7.102、PO244.2、PCO2六二、HCO319.3と英紀の状態は著しく悪化しており、右結果を見て酸素を上げるよう指示した直後の午後三時ころ、英紀は、突然痙攣発作を起こし、嘔吐があり、心拍停止の状態となった。このため、アンビューバッグさらには気道に管をいれて人工呼吸をし、これにより一旦心臓の脈も戻った。

10  しかし、この時点でPO2が四四と気道の収縮が強くなって呼吸不全と判明したため、被告大西は、英紀を呼吸管理の可能な病院へ転院させることとし、午後五時一〇分、桃山病院に到着し、同病院で治療を受けたが、英紀の症状は改善せず、同人は同日午後七時四五分同病院において死亡した。

英紀の死因についての同病院における所見は、肺炎による敗血症とのことであった。

三原告らは、被告らの過失について、英紀の死因が喘息であったことを前提とするものと思われる主張をするので、まず、英紀の死因について検討する。

鑑定人豊島協一郎による鑑定の結果は、英紀には、以前にアトピー性皮膚炎と思われる症状があり、喘鳴を繰り返していたこと、家族歴に喘息患者がいたことを重視し、英紀の病名は「気管支喘息」であった可能性が高いとし、また、肺炎・細気管支炎の合併は否定できないものの、二三日午前中は発熱がなく、胸部レントゲン線上著しい変化がなく、強度の呼吸困難を呈していたことから肺炎が主病変である可能性を否定し、また、桃山病院到着後、短時間の内にPH7.10から7.43、PCO2五九から三八と著しく改善していることからみて、気道狭窄の主たる部分が機能的病変であり、したがって気管支喘息が主病変であったと結論づけるものである。

そこで、右鑑定の結論について検討するに、右鑑定の根拠となった事実に加え、前掲各証拠によって認められる、初診時の英紀の症状は、喘鳴があって、発熱はなく、乾性ら音が両肺で聞かれる等喘息に合致する症状を呈していたこと、桃山病院では敗血症との診断を下しているが、英紀は人工呼吸のチューブを挿管した状態で送られてきたため、同病院では呼吸状態を聞くことができなかったこと、右敗血症の診断の根拠となった肝臓の腫大・肝機能の異常・髄液の細胞増多等も呼吸障害から生じることもあり、必ずしも喘息と矛盾するものではないこと等の事実によれば、英紀の病名は「喘息」であった可能性があると考えられる。

しかし、他方前掲各証拠によれば、喘息と細気管支炎とは、外形的な症状は全く同じであるから、英紀の初診時における右症状はまた、英紀が細気管支炎であった根拠ともなるのであって、これらを鑑別するには、家族歴・過去の喘息発作が重要となるところ、家族歴については、英紀の従兄弟に喘息患者がいるものの、それを四親等(従兄弟)にまでひろがるとあまり参考にはならず、アトピー性皮膚炎についても、その後否定されていること、また、喘息であればネオフィリンで気管支拡張が望めるところ、本件の場合には入院時よりネオフィリンを使用しているにもかかわらず、動脈血ガス所見のPCO2の値は改善されておらず、さらに進んだ治療としてソルコーテフを投与するも同様にPCO2の値は改善されていないことからすると、気管支拡張剤に反応しなかったのではないかとも思われること等が認められることからすれば、英紀の病名はむしろ細気管支炎であった可能性も高いものと考えられるところ、前記鑑定も、細気管支炎には強力な治療法はないから、まず、気管支喘息を目標に治療すべきであったとするのみで、必ずしも細気管支炎を否定するものではないと解される。

さらに、前記鑑定が根拠がないとして否定する敗血症も、結果として細菌の存在が認められなかったとはいえ、前記認定のとおり、本件では当初から抗生物質を使用していたので、その結果、そのような場合もありうること、前掲各証拠によれば、乳児が発熱し、痙攣、呼吸困難、意識障害等状態が急激に悪化する症例の原因は敗血症等の感染症である場合が多いこと、その後の桃山病院の検査結果では肝機能が異常であり、リコールの細胞増多が見られたこと等の事実が認められ、これらの事実からすると、敗血症等の全身感染症あるいはライ症候群等の急性脳症等であった可能性も否定しきれない。

そして、弁論の全趣旨によれば、本件では英紀の死後剖検は原告らに拒否されたためなされていないことが認められるので、そもそもその死因を断定することは困難であり、他に、右死因が前記のいずれであったかを断定する証拠はなく、右に判示の諸点によれば、英紀の死因は、喘息あるいは細気管支炎である可能性がある一方、敗血症ないしライ症候群である可能性も否定してしまうことはできないものといわねばならない。

四そこで、右を前提として、以下被告らの過失について検討する。

1 原告らは、まず、被告宮本に、英紀の入院時において、重症者としての措置を採らなかった過失がある旨主張するが、前記二において認定のとおり、被告病院受診時には英紀の症状は落ち着いていて、原告らも入院を渋る程度であったこと、被告宮本も、英紀が幼少であるから大事をとって「観察入院」させたものの、特に容体が悪くなることを予想したものではないこと、〈証拠略〉により認められる、同人も英紀は翌朝までに状態が悪くなる可能性もあるのではと思い被告病院を紹介したが、特にその時点で重症と考えたからではないことからすれば、被告病院入院時において重症者としての措置をとる必要があったとは到底認められない。

2  次に、原告らは、被告宮本・同大西の病名確定の過失をいうけれども、先に認定のとおり、英紀の病名は死亡後においても確定不可能であるから、「喘息」であると確定診断すべきであったとはいえないことは勿論であるうえ、英紀の入院時の症状及び問診の結果を考慮して、まず、喘息を強く疑い、さらには英紀の年齢(九カ月)を考慮して、喘息と外形的症状からは鑑別困難な細気管支炎をも念頭において治療にあたることとした被告宮本の判断、及びその被告宮本の診断を考慮したうえで、その後の経過も踏まえて肺炎も含めて治療に当たることとした被告大西の判断はいずれも妥当であって、これらを過失ということはできないし、病名は確定診断していないものの、被告らは終始喘息を念頭においてこれに沿って気管支拡張剤の投与等の治療をしているのであるから、右病名の不確定が喘息に対する治療をなおざりにし、英紀の死亡を招来したということもできない。

また、原告らは、被告宮本が、入院時点において英紀のレントゲン撮影をしなかったことを右病名確定の懈怠の証左とするが、〈証拠略〉によれば、当時強く疑われた喘息と細気管支炎とはレントゲン撮影によっては鑑別困難であることが認められるから、同人があえてレントゲン撮影をしなかったことには十分理由があるし、さらに前記二に認定のとおり、レントゲン撮影により異常(淡い肺炎の像・肺気腫)が認められたのは入院の翌日、症状悪化後のことであるから、入院時点においてレントゲン撮影をしたところでこれにより英紀の病名を確定し得たというものでもない。

3 原告らは、二三日午前一〇時五分の動脈血ガス所見のPH7.164は死に至る危険性を明白に示しており、直ちに強力且つ適正な治療を開始すべきであったとし、被告らのメイロンを始めとする薬剤の投与の不備をいうので、その後の治療の経過を検討するに、前記二に認定のとおり、被告大西は、英紀の呼吸困難に対し、午前一〇時五分の動脈血ガスの結果を考慮して、まず、呼吸性アシドーシス(酸血症)を改善するためメイロン一〇ccを静注し、昨夜来のネオフィリンが奏功していないと思われたため、さらに進んだ治療として、ソルコーテフ一〇〇ミリグラムを側注し、〇時三五分には動脈血ガスを再検し、その結果が横這い状態であったため、さらにネオフィリンを増量するとともに、再度ソルコーテフを側注し、また、これらが有効に働くようメイロンを静注して酸血症の改善を図ったことが認められるところ、前記三に判示のとおり、当時の英紀の病名については、喘息・細気管支炎・肺炎等が考えられ、細気管支炎には強力な治療方法はないのであるから、前記二に認定の、まず、喘息を念頭において、気管支の収縮をとるため気管支拡張剤を投与するとともに、これが奏功するようにメイロンによってPHの補正を図り、ネオフィリンが効かない場合はさらに進んだ治療としてソルコーテフを使用するという、被告大西の治療方針は、妥当なものとして是認し得るところである。

前記鑑定の結果は、ネオフィリンの効果が不十分であるから、速やかにイソプロテノール等を使用すべきであると指摘し、原告らもそのような主張をするものであるが、〈証拠略〉によれば、イソプロテノールの使用は非常に難しく、被告大西としても、小野のたてたプランにしたがってソルコーテフが奏功しなかった場合の次の段階としてイソプロテノールの投与を予定していたこと、二三日〇時三五分の段階では英紀の状態は横這いで、ソルコーテフの効果をまだ期待できたことが認められ、右状況下でイソプロテノールを使用しなかったことをもって、被告大西の判断に過失があったとはいえない。

また、原告らは、メイロンの投与量が少なかった旨主張し、前記鑑定もその点を指摘するところであるが、〈証拠略〉によれば、メイロンの適正な投与量は非常に難しく、計算式等はなく、動脈血ガスを測定し直して確かめるしかないことが認められるところ、前記二に認定のとおり、被告大西も動脈血ガスを再検してメイロンを追加しているのであって、他にメイロンの投与量が不適当であったことを推認させるに足りる証拠はない。

加えて、仮に右各薬剤の投与に不備があったとしても、前掲各証拠によれば、そもそも気管支拡張剤は喘息治療に対応するものであり、メイロンは動脈血のPHを補正し右気管支拡張剤の有効性を高めることを目的とするものであって、喘息に対応する治療であることが認められるところ、前記三に判示のとおり、英紀の病名は喘息、細気管支炎あるいはそれ以外のいずれであるとも断定できず、喘息以外の病因であった場合にはこれら薬剤は効果がないのであるから、これらの投与の不備と英紀の死亡との間の因果関係を認めることもできない。

4 さらに、原告らは、酸素テント搬入時期の遅れをいうけれども、前記二に認定のとおり、英紀の容体は、被告宮本が回診した午前七時ころまでは、落ち着いていたものと思われ、呼吸困難に気づいて直ちに午前七時一五分、酸素テントに搬入したものであるから、右措置を遅きに失したということはできないし、その後の処置についても、前記二に認定のとおり、被告らは一応の検査・薬剤投与等の治療を行っており、この点について被告らに過失を認めることはできない。

原告らは、午前一〇時五分の動脈血ガス所見によれば、直ちに人工呼吸を準備し、症状の改善がなければ、人工呼吸を開始すべきであった旨主張するが、〈証拠略〉によれば、被告大西は、午前一〇時五分の動脈血ガス所見を見た後、小野の助言もあって、まず、PHを補正して気管支拡張剤による気管支の収縮の改善を図り、さらに悪化(PCO2の上昇)するようであれば、次の段階として人工呼吸を考えるという方針を立てていたことが認められ、〈証拠略〉によれば、人工呼吸の開始時期については、動脈血PCO2が七〇又はそれ以上、PO2が五〇又はそれ以下、あるいはPCO2が六〇〜七〇を超えること、PO2が六〇〜四〇を下回ることを基準とするものがあり、本件では午前一〇時五分、午後〇時三五分のいずれの動脈血ガス所見も右基準に達しておらず、ほぼ横這いの状態であったことが認められ、〈証拠略〉によれば、人工呼吸も喘息や細気管支炎による気管支の収縮が取れなければ非常に効率が悪いことが認められ、これらによれば、被告大西のたてた右方針は妥当性があり、また、先に認定のとおり、午後二時四三分の動脈血ガス以降、英紀の症状は急激に悪化するのであるが、それ以前に右急変を予測することができたことを認めるに足りる証拠はないから、これ以前に人工呼吸をしなかったことをもって、被告大西に過失があったとはいえないし、また、前記のとおり、気管支の収縮の残る間の人工呼吸は非常に効率が悪いのであるから、これ以前に人工呼吸をしたからといって、英紀を救命できたともいえない。

5  また、原告らは、被告大西は、もっと早い時期に英紀を転院させるべきであった旨主張するが、〈証拠略〉によれば、桃山病院に転院させたのは、主に人工呼吸設備の問題であるところ、右4に記述のとおり、午前一〇時五分と午後〇時三五分の動脈血ガス所見ではほぼ横這い状態で、この時期には未だ人工呼吸が必要な状態ではなく、メイロン及び気管支拡張剤の効果を期待していたものであり、また、その判断を不当とはいえないこと、午後二時四三分の動脈血ガス所見が著しく悪化しており、その結果の出た午後三時ころから急激に状態が悪化し、緊急に蘇生措置を採って非常事態を切り抜けた後、転院を決定したものであり、これによれば、被告大西がその時期に転院を決意したのはやむをえないものというべきで、この点に過失があったとはいえない。

6  さらに、原告らは、二二日午後一〇時ころから翌二三日午前七時ころまでの治療の空白をいうが、〈証拠略〉によれば、むしろ、その間も抗生物質の投与等が行われ、全く治療が空白であったというわけにはいかないことが認められ、また、前記二において認定のとおり、原告千幸が英紀に付き添い、点滴等のため看護婦も巡回していたはずであるにもかかわらず、これらの者が何ら英紀に異常を認めていないことからすると、英紀の症状悪化は被告宮本の診察の直前であったものと推認でき、そうすると、右治療の空白と英紀の死亡との間に因果関係を認めることはできない。

また、原告らは、二三日午前七時ころから、同日午前一〇時ころまでの間の治療の空白が英紀の死亡を早めた旨主張し、〈証拠略〉によれば、その間の看護記録等の記載がなく、被告大西は看護婦から報告を受けて英紀を診察したことが認められ、これによれば、院長による診察が行われなかったことを推認することができる。しかし、右空白が英紀の死亡に影響を与えたというためには、この間に何らかの治療をすれば、英紀の症状を改善できたことが前提になるが、前記判示のとおり、たとえば細気管支炎であれば、強力な治療法はなく、気管支の炎症が時間の経過によって取れるまでは何らの治療も無力であるから、細気管支炎の可能性も高い本件において、右空白と英紀の死亡との間に因果関係を認めることはできない。

7  他に被告らが原告ら主張のとおりの適切な検査、改善処置を採らなかったこと、また、これにより英紀が死亡するに至ったことを認めるに足りる証拠はない。

8  以上のとおりであって、被告らの英紀に対する診療行為に注意義務違反ないし英紀の死亡との因果関係を認めることはできない。

そうすると、その余の請求原因事実につき検討を加えるまでもなく、原告らの被告らに対する本訴各請求は理由がない。

五よって、原告らの右各請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九三条本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官山﨑末記 裁判官森本翅充 裁判官脇由紀)

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